フィギュアスケートを外野から楽しむ&応援するための会


by carthaginois
浅田真央選手が6月初旬、来季プログラムを作成するためロシアへ渡ったそうですが、来季は振付師の役割チェンジを試み、フリー・プログラムをタチアナ・タラソワ女史が担当することなんだそうで、どんなT流の激情型Lプログラムが飛び出してくるのやらワクワクします。
ロシアから帰国後は今度はカナダのローリー・ニコル女史のもとでショート・プログラム作りなのだそうで、なんだか世界中の選りすぐりの魔女たちの膝元で、腕前をさらに磨く魔法使いの弟子といったイメージが………??
まあまあそれはさておき、新プログラムを見るのはいつでも楽しいものですね。

先日、たまたまyoutubeで太田由希奈選手の新しいエキシビション・ナンバーを見ましたが、観るものの精神も躍る、摩天楼の輝き、スタイリッシュで洗練された演技に、「待ってました!!」と堪能させられました。
太田選手の演技には、いたるところに巧みな魔術が仕掛けられていて、発見の楽しみ、普段以上に集中力を動員してじっくり見るのが好きなんですが、毎度ながら細かく見れば見るほどウゥーーーーーンと唸らされてしまうのです。

Yukina Ota "Love Story(Where Do I Begin)" (youtube)



どんなジャンルの曲を使用しても、音楽のエッセンスを解釈して常にハイ・クオリティーで魅せきってしまうのは流石。
私の場合、彼女の演技については、まだまだその需要に供給が追いついていない状態で、たまに見たりするとそれが呼び水となって、彼女の演技をもっと見たいと実感させられるし、テレビのフィギュアスケート番組などで、放送時間の都合上ダイジェスト版の中の一人として組み入れられたりしているのを見ると、本来こういう位置づけにすべき選手ではないのにと思ったりも………

ただ復活後の彼女の演技を見るとき、魅了されると同時に、ちょっと複雑な気持ちになるのも否めない。
ちょっと変な喩えだけれども、彼女の演技のはじめから終わりまでを、ひとつの駅伝コースと見立てて細かく区分するなら、多くの区間でトップの抜群のタイムなんだけど、足をひっぱってしまう区間が………
しかし、プラス面がマイナス面を補って、たっぷりおつりが出る程余りあるし、リンク上に独特の異空間を造形する力量というのは、いつ見ても傑出しているなあと感心させられます。
そして、10代の少女の頃の幻惑させられるきらびやかなまでの表現力もいいけど、経験を重ね20代になって、その表現に滋味のようなものが加わり、より味わい深くなったような気がします。

太田選手にはもっともっと第一線の表舞台で活躍してほしいなぁと…これからの期待も込めて…



もうひとつ最近youtubeで偶然発見して、気になった演技。
私はこういう大会が存在するのを初めて知ったのですが、AEGON CHALLENGE CUP2008というオランダで3月に開催された大会で優勝した鈴木明子選手の演技が、とても良かった。

Akiko Suzuki 2008 AEGON CHALLENGE CUP EX(youtube)


この大会の鈴木選手は、大会を通じて良いのだけど、私は、特にエキシビションでの『タイタニック』主題歌による、布さばきもたいへん見事な演技が、見応えあり迫力もあり好きです。
ただ残念なことにこの個人の方が撮影された映像、ちょっと映像と音声がはっきりずれていて、雑音も混じり鑑賞しづらいという難点はありますが、そんなvideoの致命的欠点にもかまわず繰り返し見てしまいたくなる、素晴らしい演技だと思いました。

彼女もその独特な造形美が光っているし、2007-8シーズンは、完成度の高い好演技が目立ったシーズンだった。四大陸選手権に2002年以来か?久しぶりに出場するのを見てみたかったけれど、国際スケート連盟の要請かなにかに従ったのか、日本スケート連盟の出場メンバーに対する方針かなんかが変わってしまったのがなんともかんとも、残念!
もっと大きな国際大会で活躍するを見てみたい選手の一人です。
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# by carthaginois | 2008-06-10 00:39 | スケーター

続・第三の女

NHKのBS2で放送された『WATARIDORI』という映画を見ました。

世界中に生息する渡り鳥たちの姿を、鳥たちに寄り添うような視点で、淡々と、しかしスケール大きく記録したドキュメンタリームービーなのですが、その美しい映像に強くひきこまれ、見てほんまよかったなぁ、また見てみたいなぁ思いました。




この映画には主たるストーリーらしきものがない。過剰な演出というものもない。型に嵌った人為的解釈というものもない。鳥たちの生態をあるがままに提示しようとしている製作者たちの真摯な姿勢、そして熱い情熱が読み取れるのですが、そこにこの地球上に生を受け生きるもの、他者に対する共感が感じられ、バタバタ(batabata) or パタパタ(patapata) と、翼を一心不乱にはばたかせ、ひたすら目的地に向かって、海越え山越え、野原に砂漠も越え、群れをなし旅し続ける鳥たちの神秘、なんともいえない不思議、驚異が、ジーーーーーーーーーンと静かな感動の波となってストレートにおしよせてくる、そんな映画でした。

この映画を見ている間、浅田真央選手の演技している姿が何回か目の前に浮かんできました。
この前の世界選手権でのショート・プログラムの最後のステップのところ。鳥が飛翔するイメージのポーズ。生きている鳥の姿が一瞬垣間見えた。あそこには真実な決定的な何かがあると感じられた。あの地点からビームみたいな特別な光線が発信されたような…世界が一つに繋がったような…。彼女の演技にも、人智を超えた神秘、不思議、驚異が強く感じられる。

ちょっとファンの贔屓目からかもしれませんが、彼女は特別、他の選手たちとは全然違うなという感じを受けています。とってもヴェイリーVeryオリジナル。。。

前回のわたしの投稿で、最近のオリンピックの女子フィギュアの傾向を見ていて、金メダル候補が実際金メダルをとるのは重圧その他もろもろでとても難しいこと、ちょっとだけ精神的に身軽な〝第3の女″のポジションがおいしい、バンクーバーでは新鋭勢いのある長洲選手あたりが有利なのでは?なんて大風呂敷を広げてみましたが、一方、現時点優勝候補筆頭の浅田選手は、念願金メダルに寸前手が届かなかったクワン選手やスルツカヤ選手のようにはならない、彼女は特別、彼女は乗り越える、彼女はきっとやる、というような全く根拠のない実感がつきまとうのも、浅田選手が持っている巨大さ、それは目には見えない、まだまだ充分に真価を発揮していないように思える巨大さ、全くオリジナルな彼女の内部に存在している、その圧倒的なまでのマジカルなパワーがなせるわざなのでしょうか?

人を驚嘆させ熱中させるだけの力、というのはとても価値ある力だと思う。これはちょっと受け売りっぽいんですが、いろいろな人が、生きている上でもっているさまざまな悩みや苦しみや怒り、それらに囚われている現実世界をしばし忘れさせ、たとえ一時であれ別世界別天地へと連れ去り遊ばせるというのは、それはそれはすごいことだと思う。演技が素晴らしいものであれば素晴らしいだけ、美しければ美しいだけ熱中度も高く、また演技を見る人が多ければ多いだけ、癒される魂の数も多い、成し遂げられる意義も大きい、そういうヒューマンな一面も多聞にあると思う。

またたとえ結果がどのようなものになったとしても、人のために何か善いことをやろうという意志、少なくともそのことは伝わるし、その意志が何よりも尊いOTAKARAとも思う。だから…
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# by carthaginois | 2008-06-03 00:18 | オリンピック

第三の女

先月のジャパン・オープンで北米チームの一員として初参加した長洲未来選手。
1993年4月16日生まれ、ということで15歳になったばかり。来シーズンからいよいよシニアの国際試合に鳴り物入りで登場、ということで活躍が期待されているけど、長洲選手をはじめとして、キャロライン・ジャン選手、レイチェル・フラット選手などが形成するアメリカの新世代勢力の動きが、これからオリンピックまでの2シーズン、一つ大きな鍵となるのかなぁと、全くこれからどこまで伸びるか未知数なだけに、恐ろしくも、楽しみにも思えたりします。

これはまったくの私見、偏見、妄想によりますが、その資質からして、今の段階で、アメリカの代表として出場するであろう長洲未来選手が、バンクーバー・オリンピックの金メダルに一番表彰台の中央に近い選手に思えることもあります。その若さと勢いと新鮮さで一気にパーーーっと獲ってしまうことも大いにありうるかなぁと…

現在、実力で東の横綱、西の横綱、2人飛びぬけているのは、誰もが認めるとおり浅田真央選手と隣国キム・ヨナ選手の両横綱で、この番付はバンクーバーまでおそらく変わらないだろうとは思うのですが、ここ最近のオリンピックを見ていると、一般に広く流布している予想での優勝候補というものが、そのまま結果にまっすぐつながっていない。実際に優勝したのは、下馬評での本命馬、または対抗馬でもなく、まさか優勝とはそれほど思われていなかった、〝第三の女"がヌっと横から出現して、とんびが油揚げさらっていく方式で、痛快にかっさらっていくというケースが、ソルトレーク・シティー、トリノと2大会続いている。

素人が勝手に想像するに、オリンピックで選手にかかる重圧というのは、想像をはるかにはるかに絶するものに違いないと、一般人よりずっとずーっと強靭な身体と精神を持っているであろう選手個人が、内面にもっているであろう強い思い強い意志というものも、全く別のものに変換させて、粉々に砕いてしまうほどに、世間の漠とした大きな期待や利害の渦の奔流に飲み込まれてしまい、迷い子となり、我が往くべき目的地を見失ってしまうということも多々あるのかなぁと…。

思い出されるのは伊藤みどり選手。
初出場した1998年カリガリー・オリンピックでの溌剌とした伊藤みどり選手の演技。世界中の多くの人の前で、オリンピックの場で、自分の演技を見てもらえるのが嬉しくて嬉しくてたまらないという感じで、プレッシャーなど無縁という感じだった。そんな伊藤選手でも、優勝候補で迎えた4年後のアルベールビルでは、過剰なまでの日本国民の期待の重圧を一身に背負い、別人のようだった。カルガリーで見せた生き生きとした伊藤選手の姿は、フリーの後半で2度目のトリプル・アクセルに挑戦し見事成功させ、急に生き返ったようになるまで、それまではずーっと見られなかった。

それからミシェル・クワン選手もソルトレークで、イリーナ・スルツカヤ選手はトリノでと、経験と実績を重ね、開催地の有利もあって大本命で迎えた大会ではそれぞれ、ベストな演技どころか本人比であまりよくない出来の演技しか示すことができなかった。

マスコミの過熱ぶり、オリンピックでは、普段フィギュアスケートを全く見ないような人たちも見て応援する。国民すべての期待を選手たちがそれぞれ背負うことになる。優勝候補であればあるだけ、獲得したビッグタイトルが多ければ多いほど、それだけ期待も大きく、背負う負荷が、嵌められる足かせがとてつもなく重くなり、他の選手たちと同じスタート地点からの出発とはいかないのではないかと…。だから実績面では絶対的有利でも、実はとても不利な状況で競技に立ち向かわなくてはいけないのではと…、世界フィギュアでは克服できる範囲内でも、オリンピックではプラス面をマイナス面がはるかに凌駕し、それが選手をがんじがらめにしてしまい、本来持てる力を出し切れずに終わってしまうという面があるのではないかと…

なのでオリンピックに限っては、優勝候補のトップ2選手に比べればちょっと精神的に身軽な〝第三の女"が実は一番おいしいスタンスなのかもしれないと…。一般の予想とは違って、〝第三の女"が実は本当の本命かもしれないと…。そういえばこの2大会のオリンピックチャンピオン、偶然にもそのシーズン国内大会が3位。まさに〝第三の女"!。

それに”第三の女”の活躍は、根源的に一般大衆に強く求められているということもあると。
例えば大相撲(夏場所開催中、刈屋アナウンサーつながりもありということで、大相撲!)…この2年朝青龍関と白鵬関の優勝完全独占状態で、相撲ファンは、柱である優勝レースに関してはあきらめムード、日本国民飢餓状態に陥っているように思える。目新しい展開、ニュー・ヒーローの登場、〝第三の男″を一般大衆は渇望していて、琴欧洲関でも稀勢の里関でも豪栄道関でも誰でもいいから誰か別の力士が、次優勝した時にはきっと座布団のトルネード、大大フィーバーがまき起こる土壌が、もうカラカラに干上がっている。

〝第三の女"の存在が世界を潤し、世界をより面白くする。
人の性向として、上昇するものに強く惹きつけられるってこともあるかもしれない。
安藤選手がそうなるかもしれない、コストナー選手かもしれないし、他の誰かかもしれない…。長洲選手もそんな〝第三の女"の最有力候補の一人やないかと、そない思いますた。まぁ先のことはどうなるのやら全く分からないですが…「一寸先は闇」ならず、「一寸先を光!」としていきたい…ですね。
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# by carthaginois | 2008-05-15 00:56 | オリンピック